9月21日(月)に東方聖地巡礼の長野旅をしてきました。勿論ソロです。
今回は伊弉諾物質より善光寺と戸隠神社、そして神主の故郷である正直村*1を訪れました。
写真を見ながら旅行記を書きます。
出発
急に飛び込んできた4連休ですが、最初の土日は雨が降っていて何もやる気が起きず、食パンを食べては風呂場で体毛を剃る無為な時間を過ごしていました。
月曜日、晴れはしませんでしたが雨はやみ、そこそこ過ごしやすい気温だったので出発を決めました。
新幹線から撮影した軽井沢。ブルジョワの街として有名ですね。
本気出せば業務開始時間前に最寄り駅から長野まで来れるんだからもっとアクティブに動いていこうな
— 篠田 (@shino_SSD) 2020年9月20日
東京駅から1時間40分、長野駅に到着です。さて、ここからレンタカー屋に行くため、電車に1本乗って、隣駅の篠ノ井駅へ向かいます。なんで隣駅のレンタカーを使ったかというと、前日予約時点でそこしか空いてなかったからです。
めちゃくちゃ撮り鉄がいたので真似して撮影してみました。リゾートビューふるさとっていうちょっと良さめのなので、レアなのかも。
長野の車窓から、ふるさとを楽しむ。
着きました。セコセコ歩いてレンタカー屋さんへ。レンタカー屋さんにBOSSコーヒーを置き忘れてきたこと以外にドラマは起きませんでした。早速善光寺へ。
橋の上で渋滞中に撮影した川。AIも頑張ってますが普通に綺麗でした。
善光寺(伊弉諾物質)
信州での療養を終えたメリーと、それを迎えに来た蓮子は信州観光へ。アルバム『伊弉諾物質』のブックレットにてその様相が描かれています。
見えてきましたね。ここでグルっと回って駐車場に停めて、さあ善光寺参りだ、と考えていたのですが、周辺の駐車場が全部満車。仕方なく空いてる駐車場を求めて徘徊するうちに
なぜか雲上殿というところに着いていました。調べてみると、善光寺の5つある御殿のうちの1つで、納骨堂に当たる建物のようでした。他人の骨壷を見る趣味は無いので建物の中には入りませんが、せっかくなので周辺を散歩してみます。
牛に引かれて雲上殿参り
ここに骨が納められているっぽい
大納骨堂に来ました。中に骨入ってるけど綺麗でした。
グレイブヤードギャラリー。隣に納骨堂があるのに墓があるんですね?よく分からない。
最後に雲上殿全体と長野の街並みを撮影して散策は終了です。今度こそちゃんと善光寺にたどり着きます。
たどり着きました。良かったです。
さて、本殿についたらまず最初にやることと言ったら、地震柱の検証でしょう。弘化4(1984)年、善光寺直下を震源とした大地震が起き、8000人以上の死者を出しました。その地震の影響で、本殿正面の4つの柱の1番左のものが捻れている、というものです。
1番右のものから順番に見ていきましょう。少々ズレてはいるものの、大きなズレではありません。
これは2番目。1番目のものと比べると明らかにズレが大きかったです。
3番目。ズレの大きさは2番目と同じくらいでしょうか。
そして最後、地震柱。確かに1番捻れてるかも。
外側から本殿を向くようにして撮影。石台座からはみだしているのがわかりやすい。
んで実はこの地震柱、時間が経って乾燥して捻れた物らしいです。地震柱と呼んだ方が地震の恐ろしさを後生に伝えられるってみんな判断して、正式名称になったそうです。頭の切れる京都の大学生がそんなことを言っていました。
辺りを散策。
宝物殿のようなところですかね?
「回すと読経したことと同じになる石」。「回すと読経したことと同じになる石」?
戒壇巡りとは、寺社内の地下など、全く光の当たらない場所を練り歩き、心を無に近づけることを目的とする宗教的アトラクションです。清水寺の胎内巡りと似たようなものでしょうか。
そしてこの善光寺では、戒壇巡りの通路内に「極楽の錠前」と呼ばれる錠前があり、それを握ると幸せになれると言われています。
内陣券を500円で購入し、いざ体験します。もちろん撮影は禁止だっので写真はありません。
戒壇巡りを完走した感想です。
通路は本当に真っ暗で、壁に手を這わせながらでも壁にぶつかったりしました。完全にマスタング状態。ただ、進んでいくうちに目と体が慣れてきて、吹き抜けていく風を感じるようになり、錠前を探しながら歩く余裕も出来てきました。指先が壁をなぞるほど心が落ち着いていくのを感じます。
1分ほど歩いたときでしょうか、まだ錠前らしきものを触っておらず、泡のような期待を抱いていました。前を歩いていたババアが「錠前あったよ、そこに、そこ」と連れのジジイに話しかけたせいで全てが台無しになりました。
マジであのババアふさけるなよ。善光寺からババアを駆逐してくれ頼む。
階段巡りを終えて黄昏れる私
以上、牛に引かれて善光寺参りでした。
戸隠神社(伊弉諾物質、輝針城レーベル)
ババアを蹴散らした後は戸隠神社へ行きます。
戸隠神社は5社に分かれており、全てを参ろうとすると丸ごと1日かけないと難しそうです。今回は輝針城レーベル写真になっている宝光社と、どこかあと一社参ることができればなという感じでした。しかしあんなことになるとは。
戸隠の舞台に至るまでは山道が続きます。レンタルした軽自動車は山道を昇には心許なく、後ろに2台、3台と列を為していきます。ごめんよ。
やっとこさ山道を抜けると神社になかなか近い。宿坊神原駿河。
この人の多さよ。4連休に急に信仰心を上げるんじゃない。んで、何十分かこの渋滞に巻き込まれていたので、戸隠で撮った写真といえば上の2枚と
MORIYA建造によって改修工事中の鳥居のみでした。
白馬村(神主故郷、蓬莱人形?)
あまりにも渋滞が動かなさすぎるので、急遽予定を変更、渋滞の脇道をぐるっと回って白馬村へと向かいます。多分こういうのをクレバーって言うんだと思う。
戸隠神社から白馬村へは1時間とちょっと。限界集落と呼ぶにふさわしい山奥を進んでいきます。道中、電線と電線の間に、黄土色のクレヨンで塗りつぶしたようなモヤがかかっていて、よく見るとその全てがクモの巣だったので滅茶苦茶気分が悪くなりました。手入れが行き届いていなかった。手入れを行き届かせる意味が無いので。
いよいよ近づいてきたぞ、というところで大出公園という良さげな森林公園を見つけたので、休憩がてら寄ってみます。
公園かと思ったら霊園でしたシリーズ
なんか良いですね
なんと、この辺鄙に輪をかけて辺鄙なところに喫茶が営業中でした。神ニート?香り高いコーヒーが売りのようですが、そういうのを一切無視してりんごジュースをいただきました。
良い言い方をすれば自然豊か、悪い言い方をすると「未開拓」でした。
吊り橋があったので渡ってみました。
上流から人が流れてきました。カヤック?ボート?ホバークラフト?なんて言うんだろう。どうやらそんな感じのアクティビティが盛んなようでした。流され人を見たところで、公園を後にします。気まぐれに寄ってみましたが非常に良い風景を楽しめました。
んで、目的地の白馬村へと到着しました。
メリー!白馬村に来たわよ!という感じ
山が削げ落ちていました。スキー場ですね
いやクソ田舎~~~
城嶺神社(跡地)にたどり着きました。博麗神社が小高い丘の上に鎮座しているという記述のとおり、足場の悪い坂道を登りきったところにありました。
何も無い……
寂れてるどころの騒ぎじゃない何かがそこにありました。かつてそこに社があったとは考えられない……
敷地だけは無駄に広いのがまた哀愁を漂わせます
小高い丘からは、少し離れたところに再建された城嶺神社が見えます。行きましょう。
当たり前なんだけど新しい。社に消火器を備え付けるな。
白馬村巡りはこれで終了です。他の神社郡は、レンタカーの時間が迫っていたので行けませんでした。神主の家に凸ろうかとも考えましたが住所を知らないので無理でした。タイムマネジメントが下手なのは分かっていたのでノーダメージ。以下ギャラリー。
翡翠色をしていた川。キレイだったんですが、天然で出しちゃいけない色しててメチャクチャ怖かったです。
この旅で1番やばかった神社、山奥の清水神社。境内に足を踏み入れた途端に気持ちが悪くなりました。4年くらい神社巡りをしてきましたが、初めての経験でした。怖かったです。
怖かったので気が触れたお食事処を撮影しました。
善光寺、白馬村巡礼RTAを完走した感想ですが、善光寺と戸隠は別日に行った方がいいです。それか、善光寺自体は3時間もかからずに回れるので、戸隠に早めに向かうか。東方の繋がりは諏訪なんかと比べると薄いですが、かなり満足度の高い旅路になるのでは無いでしょうか。
白馬村へ行く時は工程にスキーを組み込みましょう。今の時期に行っても草と石しかありません。城嶺神社も鳥居と祠しか無いのでね。
お疲れ様でした。